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大滝さんの“語り口”の面白さはどこから来るんだろう?

2014/01/17

大滝詠一さんの訃報を聞いたとき、自分でも驚くほどの喪失感があった。
「オレってそんなに大滝詠一ファンだったっけ?」と思うくらい・・・。

自分は高校生の時に出会った「A LONG VACATION」に衝撃を受けて以来の大滝ファンだが、濃いナイアガラーの人達のようにコレクターになったわけでもなく、オールディーズに深くハマったわけでもないゆる〜いファンである。まあ、マニアになれるほどの熱量は無かった微熱中高年とでも言おうか・・・。
それなのに、正月から続いているこの喪失感は一体何だろう?
おそらく、ゆるいファンとはいえ、今まで自分が意識していた以上に、大滝さんから様々な影響を受けていたのだと思う。そして、その影響は音楽からだけでなく、むしろ漠然と聞いていた、ラジオでの大滝さんの独特な「語り」からより多く受けていた気がする。それなのに、もう大滝さんが新しく何かを「語る」ことは無くなった。その事実に改めてショックを受けたからかも知れない。

大滝さんの音楽以外の魅力に気付いたのは、1984年にラジオで「新春放談」を聞いてからだった。翌年、リスナーからのお便りにもあったように、当時自分も「何を話しているかさっぱり分からないが妙に面白かった」と感じた一人で、それから毎年のように番組をテープに録って音楽以上に繰り返し聞くようになった。(そういえば新春放談の元ネタになった時事放談はその頃まだ続いていたようだが、自分が見ていたのは細川隆元と藤原弘達で、さすがに小浜利得の記憶はない。)
まあ、もともとラジオが好きだったし、最初にラジオにハマったのは小学生の頃、TBSラジオの「一慶・義雄の夜はともだち」を聞いてからで・・・って、こんな調子で時系列的に書いていたらどんどん長くなって収拾がつかなくなっちゃったので、全部カットして一つのことだけ書くことにする。

つまり言いたいことは・・・「大滝さんのトークは何度聞いても抜群に面白い!」ということだ。当然内容の面白さもあるのだが、ここで言いたいのは大滝さん独特の“語り口”の面白さだ。
といっても、DJのトークスキルというわけでも無いような、オリジナルの話芸といったら良いのだろうか?その語り口の面白さの理由が今でもよく分からない・・・分からないまま長年楽しんでいるわけだ。まあ、萩原健太さんですら下にあるように「翻弄されるばかり」だそうなので、自分が分からなくて当然かも知れないけど。

ファンの方ならばみなさんご存じの通り、大滝詠一という人の語り口は独特だ。とぼけているような、はぐらかしているような…。どんなにシリアスな話題を口にしているときでも、常に機知に富んだ、鋭いユーモア感覚が全編にまぶされていて。どこまで本気なんだか、冗談なんだか。こちらはその振り幅の大きさに半ば戸惑い気味に、半ば心地よく、翻弄されるばかり。

以前、何かの番組(いや、文章だったかなあ?)で、大滝さん自身も「オレは語り口が面白いんだよ」と言っていたが、その面白さが一体どこから来ているのかずっとモヤモヤしていた。当然、語り口の“分母”に映画・落語・漫才・浪曲など様々なものが基になっているのだろうが、いわゆるお笑いの人のそれともちょっと違う気がする。他に例がない替えがきかない語り口というか・・・。

大滝さんのダジャレ好きや引用好きなところなどは、元ネタの知識が無くともまだ分かりやすい方だと思うが、たとえばお得意の「自慢じゃないけど」の使い方や、全体のトークの中での置きどころの絶妙さも特徴の一つだと思う。他にも「どうよ?」「ダメ?」「グッと」なんぞの使いどころも毎度毎度、妙に可笑しい。例えば「日本ポップス伝1」で、アシスタントの平岩さんとカルメンの系譜についてやり取りするところの「グッと」は何回聞いても笑える。この可笑しさのキモは何だろう?(ひょっとして、こんなところ面白がってるの自分だけだったりして)
それとトークの面白さの要素として会話のリズム感も重要だと思うのだが、去年、坂崎幸之助さんのラジオ番組「K’s Transmission」で、大滝さんがゲスト出演の回があった。そこで、大滝さんと坂崎さんのやり取りで個人的に一番可笑しかった部分が、「丸顔のリードギターっていないのかしら?」「寺内タケシさん丸いですよ」「寺さん丸いねえ〜(笑)」のところ。ここなども言葉のチョイスとリズムの組み合わせが面白さを醸し出している・・・ような気がする。
ここの面白さって、漠然とだが「浪曲っぽい」気がするのだがどうだろう?有名な広沢虎造・次郎長伝の三十石船道中にある「飲みねえ、飲みねえ、寿司くいねえ」「江戸っ子だってね?」「神田の生まれよ」「そうだってね〜」の「そうだってね〜」と「寺さん丸いねえ〜」が、なんとなく似たリズムの流れと落とし方のような気がするのだ。う〜ん、うまく説明できないのがもどかしい。といって浪曲も次郎長伝シリーズぐらいしか聞いた事ないし、さして詳しくもないのでまったくピント外れな印象に過ぎないのかも知れないが。

それと、いつの新春放談だったか、「カナリヤ諸島にて」のエンディングが長いので「待ちくたびれちゃったよ〜」と言ったラジオDJのエピソードに対し、「寂しい音楽体験をしてきたんだろうねえ」(だったかな?チトうろ覚え)と、半分冗談に皮肉を言った回があった。で、その後すぐに「でもこの人途中で切らずによく待ったよね。エライ!」と続けたところは、いかにも大滝さんらしいと思った。フォローというよりシャレが効いてる感じ。こういった話の転がし方も特徴のひとつだと思う。

本来、何回聞いても面白いと思えるには、内容の趣旨や深さを理解できたからで、語り口のような“ガワ(側)”は、その内容への導入手段に過ぎないのかも知れない。
だとしたら、その面白さに満足して「何を話しているかさっぱり分からないが妙に面白かった」状態を30年間続けているのも情けない話だなあと、とり・みきさんの「ナイアガラの瀧に打たれて」を読んでちょっと反省してしまった。
こんなところが自分は「ファン以上ナイアガラー未満」だと感じるのだが、まあ、自分なりに考える大滝さんからの影響として、ささやかながら自分自身、そう在りたいと思うこと。それは「粋」にふるまうなんぞ無理としても、せめてシャレの一つも通じるような・・・大滝さんに「それは野暮ってもんじゃないの?」と言われないような・・・そんなふうに在りたいなあとは思っている。

大滝さん、今までありがとうございました。
これからも大滝さんの残した楽しい番組を聞き続けます。

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改めて読みなおしてみると、この文章自体が野暮ったくて恥ずかしい(笑)
ちょっと文言を直してみたけど、まだ手袋三枚重ねというか、何か言いたいことが言えてない気がする。
まあ、いいか。また何か書くかも知れない。

懐かしい大滝さんのカセットレーベル(たぶんFMfanのもの)

唯一手元にある大滝さんが写っているカセットレーベル(よく覚えていないがたぶんFMfanの付録)

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